一杯のロイヤルミルクティーとこの先失うものについて
先日,梅田の阪急百貨店にて紅茶を購入した.
今日はちょっとした余裕があったため,料理をし食後にロイヤルミルクティーを作った.
- 160mlの水を鍋で沸騰させる
- 沸騰直後に火を消しつつ6gの茶葉を投入
- 3~5分待つ
- 牛乳を150ml投入し 火にかけスプーンでかき混ぜる
- 良い温度になったら火を消す
- (熱湯をカップに注ぎ 温まったら熱湯を捨てる)
- 茶こしを使い 紅茶を注ぐ
- 砂糖を加える
- 飲む
つくりながらこれは大変面倒だと気づく.
飲みながらいろいろと考える.
ミルクティーを鍋で作る余裕があるようだが,実際は切羽詰まっているはずなのだ.
このまま先を読まずに行動すると,ニートになるなァと思った.
高校時代の担任はマネジメントがうまかったと,先日2年ぶりにあった同級生と話した.
この情緒不安定をコントロールしていたのだから.
今も平然としているようで実は大きな挫折がきっと待ち構えているということを考えていて.
この平然さの裏では,なにかが失われるためのトグルスイッチがONになっていると.
今あるものをそのまま持続なんてできないのはわかっているつもりだが,求めてしまう.
できれば,この先も大切なモノは失いたくないので,やれることはやっておこうと.
行動した結果失うのなら,後悔もないだろう.
モノゴトについて愛想を尽かすのは他ではなく自分でありたいなぁ,と思い,
できればうつろいゆくものと,先を楽しみたいと思う.
こういうことは文章にするとストレートに残り,ストレートに伝わる.
他者に伝えるとき,だからこそ写真などのイメージを使うのだろうか.