岸辺のAlbum

teenstの日記

今の研究室に入った理由と、出て行く理由を、それぞれ200字程度で教えてください。

大学を卒業した.
書いてる今はもう数日たってて,今日は大学院の入学式だったので,もう既にあの頃からは離れているという感じがある.

自分の学部生活を大きく分けると,2つに分けることができると思う.
1つめの期間は,学部1回生から3回生前半までの「学部とサークル中心の生活」
2つめの期間は,それ以降から卒業までの「研究室とインターネットの人との生活」

前半は,大学生として自分の中で世界を広げる期間だったように思う.
見知らぬ土地で,知らない人と交流するということ.
学部では自分のような人間でも,広くたくさんの知り合い,友人に恵まれたと思う.
幸いにして英語の試験の成績がよく,優秀なクラスメートにも恵まれた.
@や@はその頃からの付き合いで,
@phelrine繋がりで学部の友人ができたり,@vinalfentとは研究室配属までの期間一番長く過ごしたと思う.
彼らは何を考えているか僕にちっとも話してくれなかったけど,
僕はそういう人とどうもそこそこやれるということがわかってよかった.
なんとなくだけれど情報の分野にいていいんだ,ってことを思った気がする.*1

サークルに所属したというのも大きかった.
今,学部時代を「総括」しているわけだが,総括なんて言葉はこの大学じゃないと聞けない言葉だと思っているし,
学生だけが運営するという意味で不安定要素の大きい団体に所属したというのはすごく良かったと思う.
生え抜きだったが途中で辞めたメンバーとも,今でも交流があるし,良い友人関係だと思う.
1回生のころが一番のびのびできたと思うし,偉大な先輩方にもそこそこ影響を受けた.後輩にも恵まれた.*2
むしろ回生が上がるにつれて,制約のようなものが増えて辛かったこともあった.
そういえば,3回生では部長もしたし,なんとなくだけれど頼ってもらったのは,初めての経験だったと思う.
部長になる前までの貢献はそこそこあったけれど,それ以降の貢献はあまりないとは自分でも思っているけれど,
団体で活動する上で,団体を「次に引き継ぐ」ことと,メンバーを「不本意な理由で辞めさせない」ということを意識してやった.
次には何とか引き継げたし,辞めた人はいたけれど,それまでの割合としては決して多い方ではなかったと思う.
今でも写真を見ることは好きだけれど,頑張って撮るまでの体力はなくて悲しい.
ずっと言ってるけど,復帰したい気持ちもある.

サークル繋がりでアルバイトをしたというのも面白かった.
アルバイトというほどアルバイト色は強くなかったけど,面白くもめんどくさい大人たちと付き合えたのは世界が広がった気がする.
他にも大学内のアルバイトをしたり,なんとなくだけれどお金を稼ぐ経験ができたのは良かったと思う.
これをしていなければ,メールのやり方や電話対応,接客みたいなのが今よりもひどいと思う.


後半の「研究室とインターネットの人」の話.
サークルで部長をはじめるくらいから,この割合が増えていった.
研究や将来についてなんとなく考える時期だったし,事実同期はインターンシップとか就職活動とかを始めていた気がする.
部長でちょうど忙しい時期に,当時付き合っていた恋人にふられて,サークルの人達に吐露しまくるということがあった.
あの時はご迷惑おかけしましたとも思っている.ただ,恋愛の話で,ある意味サークルの柱でもあった後輩たちに自分の素性がわかってもらえてよかったね,と言われたことがあった.

サークルの後輩に,やりましょうって言われて始めたのがTwitterだった.
正しくその時期からインターネットでティーンズ(a.k.a. teenst)としての活動を本格的に行い始めたと思うし,
本名で活動していた頃にはお会い出来なかった,大学の人も含めたインターネットの人たちとお会いし始めたのもその頃だった.
Twitter経由の方とティーンズとしてとある人とお会いしたのが,2010年の3月くらい.
たった数回しかお会いしたことはないけど,自分の行動範囲を広げてくれたという点でその方には今でも感謝してるし,
それがあったからこそインターネット上で数カ月は失恋キャラとして振る舞えたとも思う.

失恋繋がりでユーザと会えたし,偉大な先生方(@先生や@先生)とお会いできたというのもある.*3
そこからRのクラスタの先輩方や後輩たちとの交流が生まれ,今でも付き合っていただいている.
意外と思わぬ人が思わぬ所でつながっているのだ.

R以外でも@さんや@さんとは,何回もお会いする関係になったし,
そうだな,ここに書く人たちとはよく遊んでいるという感じ.


研究室の先輩方や同期の人とも,なんだかんだで面白い関係だったと思う.
きちんとした成果が残せなくて悔いはある.自己責任だけれども.
研究,みっちりやれたかというと疑問だけれど,それでも一年半よく通ったと思う.


日記のタイトルである研究室決定については,将来を見越してということもあったし,
当時の最善の方法だったとも今でも思ってるし,そこに対しては全く後悔はなくて,周りにもよく驚かれる.
出ていった理由として,ありがちな理由としては「学費」と答えるのだろうけれど,ぜんぜんそんなことはなくて,
まず,コストはかかれど学部と院は違うところに行ったほうがいいと思っていたことと,
自分のやりたい研究がどうもそこにあるらしいということがわかったので移動したということだろうか.
#実際,決定するまでの材料は2割程度くらいしか実はなくて,8割が決定に踏み切るまでのしきい値だとすると,
#あとは妄想なのだろうとも思う.ただその妄想を「誰が」「どこで」「どのように」魅せるかということだったのだろう.
残念ながら学部と同じ環境に留まっていてもダメになっていくだけだと思ったし,その判断についても後悔はない.*4


@phelrineについては,よく愛人と言われていたのだけれど,僕が言い出したことではなく,彼のサークルの同期が言い出した話で僕はそれに乗っかっただけなのだけれど,まぁそう言われるだけの交流はあったし,
不便にもかかわらず,彼の家の近くから引っ越さなかったのは彼が住んでいたからというのもある.
それでも僕らは淡白な関係だった.


引っ越したあと,学部の同期と道端でばったり会って「学生時代後悔することは?」と聞かれた.
「大きな実績が残せなかったこと」と僕は答えた.「○○の人です」と言えることはないのは悲しい事だなと思ったから.
研究にしてもサークルにしても,まとまった大きいことが何もないというのは,ちょっと4年間もったいなかった気がする.

反面「学生時代よかったこと」としては,
自分で一から関係性を創り上げるという行動をとったことだと思うし,
自分では対応できないほどの人と知り合えたことだと思う.
自分にとって一番苦手とした分野である,人間関係の応用ができたという点ではかなり蓄えになったと思う.
それでも自分一人では関係性は築けないし,自分固有のスキルでは無いので,
良い友人に恵まれたんだなぁと思っている.
4年間を通して,友人関係にほとんどストレスがなかったのはすごく良かった.
今までそんなことはなかったので驚いている.


自分にとって同世代の人たちもすごく影響を受けたのだけれど,
年上の後輩や先生方,バイト先の,いわゆる大人とされる人たちに,
面白おかしく付き合えたのは良かったと思う.

とりとめのない話だけれど,とりあえず大学生としての総括はこんなものだろうか.
細部は思っていたものとは随分違ったけれど,大体の方向はある程度予想通りだった.
何より,全体を見通して後悔が殆ど無いというのはいいことだったと思う.

*1:それにしては頑張れていないとも思うけれど

*2:いつの間にか後輩になってる人とか,年上の後輩とかもいた

*3:初めてお会いした時,「失恋大丈夫?」と@tanichu先生に心配されたのは懐かしい話/実はその会食は研究室配属前の@phelrineらに監視されており,まぁ人生どうなるかわからんねという話でもある

*4:失恋した時「自分を変えるには環境を変えるのが一番早い」と言った同期を思い出す