岸辺のAlbum

teenstの日記

前日の薬の効果は微妙.すぐ効くものでもないが,早く効いてほしいのだが...


8時にキラキラ退室.
ゆららの湯に行くために,「バスタオルとタオル」を取りに家へ帰る.
道すがら,親に電話.ここ数日の不調について.


行きはもう寒くて,原付だったら手袋必須だなぁ.
奈良のスーパー銭湯,ゆららの湯での最近のお気に入りは,
炭酸泉でこれは低温ながらも炭酸水の温泉がじわりじわりと暖かくする感じが良い.ずっと入ってられる.
電気風呂も最高で悪いところがあると痛みが出てくるのが面白い.
サウナにも入ったりして最高だった.
普段は先輩らがいるので,時間的に自分勝手に振る舞えないが,一人で来るとずっと一人なので誰のことも気にせず入ってられる.「いやいや,普段から気にしてないやんけ」と言われそうだが,まぁ確かにそうなのだけれど帰りたいときに帰れるのは良い.
ただこれからの時期寒いので原付でゆららの湯に行くのは本当にやばい時以外は取らないほうがいいだろうなぁ.

自分を追い込むためにガストに行く.もう少し時間が早ければ,コメダに行くのだが.
近くに24時間のマクドナルドがあれば良いが,そうなると治安は悪くなるだろうし.


胡散臭いおっさんたちが胡散臭い感じの話をしていたりして,さすが深夜のファミレスである.


最近,日記,書けてないなぁと思ったりしていた.
日記が書けないってことは何かしら問題があるってことで,
とりあえず形からでもなんとか修正するために無理やり書いてるところがある.当たり前に出来ていたことができなくなると調子が悪くなる.日記を書くことは,僕にとってはちょっとしたデイリーヒット*1なのだと思う.
Web日記を書くとき,普段日記を書くことができてる時は「公開すること」がメリットの一つだと思っていたけれど,むしろ書けないときは公開することよりも「自分と向き合う」ことがメリットだと主張したくなる.
特に日記は,Twitterを見てる時間やWebサイトを見ている時間と違って自分の記憶と向き合う時間だから,結構大切なのかも.
ゆららの湯も,IP unreachableだし.サービスを適正化してくれるサービスが出来てくれるまでは過信しないほうがいいのだろうなぁ.


はぁ,だんだん調子出てきた.


同期のWくんもガストで作業してるし,同じ研究室の某さんもこの近辺にいるとの情報を教えてもらった.なるほど.

窓際の席,寒い.
女の子とデートしたいが,最近そのような浮ついた誘い,しないし相手から話が来ても大体断っていて自己矛盾を感じる.
今はそういうのどうでもいいのだろうなぁ.どうでもよくないけど,どうでもいいんだろうなぁ.

後ろのおっさんら,鉄道オタクみたいな感じだ.

当たり前にできていたことができなくなるの,
時間は24時間しかないから,新しいことを始めた時削らなくてはいけないこともあるのだろうけれど,
削ってないことも多いし,変に削ってしまって実生活に緩やかな死をもたらしているということもありそう.

何が必要で何が必要でないか,必要なことがもしコストがかかることならその分どこを削るかと,いうことに対して僕は無頓着だったような気がする.

プライオリティの話を最近はよく考える.
就業,今の生活,この先の人生(夢).自分にとって3つほど優先順位をつけてもいい気がする.
ずっと刺し身にたんぽぽをのせるのならば先のことは考えなくてもいい気がするけど,幸か不幸か僕は刺し身にたんぽぽをのせる仕事ではないのだから諦めて攻める必要がある.


前の大学,徳洲会の病院が近くにあって,インフルエンザワクチンの接種だか健康診断だかはそこの人がやってた.
その時,徳洲会の創業者がどのようにして学んだかみたいな自伝アニメをDVDで配ってて,それを@phelrineらと研究室で一緒に見た思い出がある.「生か死か」いい言葉だと思う.社畜っぽい.


志が高くない人が志が高い人と同じくらいパフォーマンスが出せるようになるってのが,コンピュータのおかげだと思う.
メンデレーエフは手で豆を数えたから志が高いと思うけど,今となれば手作業でカウントとかしたくないと思う.エクセルの出力を再び電卓で手計算するのに似ている.
昔は志が高いから手計算してて,志が低い人は馬鹿にするくらいしかできないけど,今はみんなマクロを使えば計算できる.やることと志が関係ない世界になってきた.
それでも「やる気が〜」とか「頑張らねば〜」みたいな精神論みたいなのもやっぱりある.人間のやることだから半分くらいは正しいと思ってる.それでもそういうのが全てにまかり通る世の中はだるい,めんどくさい.コンビニでカップ酒を買って,ドンキホーテに行くような家族が知的労働者になれる世界を目指したい.


「○○主義」と呼ばれるようなこと,
最近はそういうのの学びが必要な気がしている.
先人に学ぶみたいなのも必要そう.
共産主義の大学にいたのに,教養としてそういうの全く習ってないから,伝聞とか本で知識を身につけたり,ほとんどがWikipediaでしか知らない.本当に良くないことだと思う.


人の日記読み返すと,この人この時期こんな本読んでたんだってのがわかる.
うちの研究室,日記を書く文化とウクレレを弾く文化とカレーを作る文化があってそのうち今でも日記を書く文化とカレーを作る文化はなんとなく残ってる.ウクレレを弾く文化は「たつを ウクレレ」とかでググると出てくる.

*1:『情熱プログラマー』参照