岸辺のAlbum

teenstの日記

親孝行と私

昨日,以下の様なことを書いた.

非社会的かもしれないが,親孝行は出稼ぎ先から故郷に顔を見せるというのは,(出稼ぎ|嫁ぎ)先が簡単に安く行ける距離だった時代の悪い慣習なのではないかと思うくらいに,今は実家に帰る行為を憎んでいるし,そんなことよりも将来親が要介護認定された時に,助けてあげられるくらいに成長したほうが喜びなのではという気持ちにはなっている.


これをアップロードする際,「自分はまともなことを言ってるな」というような謎の自信の反面,
「これはかなりの親不孝なのでは」という気持ちに苛まれて「公開する」というボタンを押すことに対して数秒の躊躇があり,
また今日一日,頭の隅になんとなくの罪悪感があった.



僕の周囲はちょっとした結婚や出産ブームで,子育ての話なんかも耳にすることが増えた.
僕はついこの間まで「親の扶養に入っていた」という状態だったらしいのだけれど,
では,この「扶養」というのはいったい何なのかというのをWikipediaで調べてみた.

どうも,自力で生活できない人は「要扶養者」になって,
「直系血族(両親、祖父母、子、孫など)及び兄弟姉妹」は「扶養義務者」となり扶養する義務を負う,とのこと.
多分,きっと「親の扶養に入る」ってのは,
自分は要扶養者だったので,健康保険や税金に対して寛大な措置が取られていたというものなのだろう.

こういう話をなんとなく知っていたので,
子供は高齢社会のセーフティーネットとして機能しているという認識も実はあるし,
決して綺麗事だけではないよなと,斜に構えてるところもある.


親は僕を24年間,扶養する義務を負って,僕はまぁなんとなく適当に生きているというのがある.
24年間育ててもらったのだから,きちんと親孝行をしなさいと説教をする人もいるのだろうが,
僕の親孝行のイメージは「親より先に死なない」という一点だけであって,
付け加えるならば「親が困ったらおにぎりをあげる」という話になるのかなと思う.


親は僕を育てるとき,きっと「大変」という思いはあったのだろうけれど,
一度も「辛い」ということを言わなかった気がする.

将来,僕が親を介護しなければならない時に「大変」なのは仕方ないにしても,
「辛い」という気持ちになってはいけないなということを思う.

俺と老いの戦いであって,僕がどうやったら将来も気持ちよく生きれるかということなのかもしれない.*1


産んでしまったものは仕方ないし,
同様にして,自分よりも先に生きてる人が少しでも清々しく生きてもらうのは,
僕の感覚からするとかなり不健康な気持ちになるんだけれども,
まぁ親族レベルならいいかという心づもりがある.


若いうちに自分に投資をすることが重要という見方は,
確かに技術者や都会に生きる人としてはそれなりに正しいと思える反面,
将来,親を負債と思うか,資産と思えるかどうかもまた,
将来の私が嫌な気持ちにならない最低限度の,
もう一つの自分に対する投資なのではないかなぁという思いがある.

*1:「そうは言っても,これから目に見えて成長する子供を育てるならまだしもねぇ」とありありと親の声で再生されるのだが.