岸辺のAlbum

teenstの日記

自走するコミュニティたち

4年前にtwitterで@saatomを発見した.
ネットの人たちと会うと気づくことが多いのは,
普通に暮らしてたらここまで親しくなってなかったんじゃないかなぁということ.
それを証拠に彼女の関東での友人はほとんど知らない.というか全く知らない.

ネットでの繋がりってのは相手の考え方や面白さに対して,先入観や立場などを考慮せずに触れられるってことが良いのだと思う.
もちろん毎日会う人とのコミュニケーションの頻度や質は違うから,同列には語れないとも思うけど.

その後,@saatomさんの友人知人を巻き込んで,
いつの間にか勝手にコミュニティが発展していったのがよかった.
「自分のお陰でこうなったんやで,すごいやろ(どやっ)」みたいなことはさほど思わないけれど,自分が介在してなければ今の状態になる確率はかなり低かっただろうなとは思う.
いずれ出会う可能性はあったのかもしれないけれど,
多分僕の姿はそこにはないだろうし.

思い返すと,大学に入るまで自分自身でコミュニティを広げる活動が何もできなかったというのがある.
しかも家族の影がちらついて動きにくくてコンプレックスだった.

だんだん開放されていって,今ではネットを通じていろんな人にアクセスできるようになった.*1


今回の京都の旅で,自然ににゃんこさんとひとでさんとにしむらくんさんが話しているのをみて良かったなぁと感じたり,
そして,にゃんこさんが,にしむらくんさんとひとでさんの酔っぱらい二人組を,会社の人と会わせようか躊躇しているのを見て,それは会わせたほうがいいと言ってしまったのは,
そういう成功体験があるからだろうなぁ.
うまくいかなかったらそれだけのことだし,うまくいけば一生の友人ができるかもしれない.
会わせなければよかったということ,未だかつてないと思う.



もっとも人がどんどんつながっていくのはITエンジニア・研究者コミュニティではわりと普通のことで,
昔お世話になった人の名前が,今のコミュニティでよく出るということはある.
大学入学当初,インターネットを見て,「ネット有名人とこの先生繋がりあるじゃん!」と言いながら同期と盛り上がったことを思い出す.
自分で興味のある人に会いに行くっての,大学に入ってからもピンときてなかったんだろうなぁ.だから,研究室に入ってない若者が人と会うのに躊躇するのだと思う.
ある時に,高校までのお勉強は,自分と教科書やテストとの対話で,
(日本の大学ではまだまだと言われてるみたい?だけど,)大学からは,教員その人の考え方や周りの知人友人とのやりとりで知識を得ていき考えが発展していくので,
だんだんと,人に会うことを躊躇していてはいけないなという気になると思うのだけれど,なかなか気づきにくい.

色々やりすぎて「人の人生を歩まない」という気持ちは必要だけど,普通に暮らしてたら「人の人生を歩んでるな」と思うことはないと思うし,気にしなくていいはず.*2


これからも自分の余裕と対話しつつ,興味の赴く限り,繋がっていきたいし繋げていきたいなぁと思う.

*1:Twitterをやらなくなったからアクセスしにくくなったねとは言われるようになったけど,でもそれは意図的なものです

*2:ちなみに僕は注意されるし注意してる.