岸辺のAlbum

teenstの日記

v01

運動が下手.
部活でやってたスポーツの試合も,
そもそも下手だったから試合も面白くなかったし,
ルールも口頭で伝達だったから,言葉は全く覚えられなかったし,
基礎的な練習はもっとおもしろくなかった.
いや,出来る人達は練習が面白いとかそういうことを考えてなさそうだったから,
多分観てる視点が違う気がする.
試合とかしてもムラがありすぎて,迷惑かけまくってた.
思えばあの頃から変わってない気もする.

目的のあやふやな筋トレとか苦行でしかないし,
そもそも運動することが目的ではないので,全く身が入らなかったことを思い出した.

どんなことにも目的意識を見つけられる人の強さとか,
そういうものがなくてもすっとできちゃう感じとかが良さそうに思えた.




うちの所属ではこうしてもらいます,みたいなルールを決めることについて.
僕なんかはある程度決められたほうが,やりやすいところもある気がするけど,
すべてが全てそれだと,機械とか雇ったほうがいいわけで.

パターンなどを使うみたいなのも,共通言語として利用するとか,
成功体験をとにかく書きまくるとかそういう利用の仕方が望ましい気がする.
テレビでやってる有名人の自伝的なプログラム,編集の良さもあると思うけど,
沢山の種類を見せて飽きさせずに視聴させることがテレビの目的だけど,
視聴者としては,情報を得ること,学習することみたいなのが重要そう.
そこで強化された話が「座右の銘はなんですか?」とか,「好きな本はなんですか?」とかになるのだろうと思う.*1


人によって,問題への取り組み方は違うし,結果も変わってくると思ってるけど,
その姿を見て,(無駄は多いかもしれないけど)学べることみたいなのはありそう.
人によってムラがあるというのは,ある場面では嫌われるだろうけれど.

「この歳になってこれもできないのかよ」というのは,二重の意味で結構厳しい.
学校にいる期間が長いとそういう発想になるなと思ったりした.
似てるけど違う問題だと思ってるのは,関わった期間について.
「これだけ時間をかけて,これかよ」問題.
そのことについて危機感を持たなかったことは叱責されるべきなのだろうか.
叱責しても良いのだろうか.


あるゴールがあったときに,答えの出し方は人によって違うのだから,
答えの出し方はともかく,アンチパターンを禁忌として規定するのはイケてなさそう.
目的だけ伝えるみたいなことが大切なのか.
でも経験がないことについて多くの人は想像力が足りない感じなので,
一回はstrictにしてあげるというやり方が必要なのだろうか.

で,もちろんいいものを見続けるってことは大切なんだけど,
反面教師とか,同じくらいの仲間を知ることも同様にして良さそうだと感じていて,
だからこそ多様性がある方が長期的には強いという感じに思えるし,
超人大集合みたいなのはともかくとしても,
同じ価値観だけをずっと厳しく言われ続けるのは,問題がありそうだと思う.



そんでもって,
こういうことを考えるときに,対話することを拒否する人たちとか
そもそも多様性を認めるべきではないとか言う人について,
そういう人たちの価値観も尊重してあげるべきではみたいなジレンマがある.


口頭や対面に限ったことじゃないけど,対話,コミュニケーションをせずに意識をすり合わせることって異常に難しい気がしているので,
対話を拒否するみたいな人たちには,いないものとして扱う必要がありそう.
ポートが開いてない人にはジョブは投げられない.改善すらできない.

ではお前のやってることは,ポート開いてますかということだが,
まだまだ開いてない感じがあって,危機感がある.たぶんこれもパターンがありそう.


ということを冗長性を排除して書きたい.
こういうことを普段からやってるけど,だらだら書けてしまう日記の悪影響が出てる.
コンテキストを排除してもわかる状態にすること,
コンテキストが排除された日記ってなんだよ,それは日記じゃないだろという突っ込みもある.
アウトプットすることはまずまずOK.では,それをもう少しうまくする練習が必要.
現状,かけたエネルギーに対して残るものが少ない.
練習→添削が必要な場に投げよう

*1:ちなみにHR関連の業務では好きな本について聞くことは,問題があるとされているみたい.最初はなんでやねんと思ったけど,理由を知ってなるほどという感じ.難しいね