岸辺のAlbum

teenstの日記

体験にお金を払うことと記述的であること

Apple MUSICなんだけど,考えられるユースケースとしては,iPhoneを使ってどこでも音楽が聴けるということなんだろう.自身が所有する音源であろうがなかろうがどこでも聴けることというのがサービスの重要な要素なんだろうけれど.


機能に付随した気持ちよさがあると思う.
"ライブラリ"と"For You"を行ったり来たりして知らない音楽を探すことだったり,同じタイプのアーティストをまじまじと眺めたり.
これをまとめようと思ったのも,使っていて思わぬことで「あぁ,いいじゃん」って思ったのだけれど,結局それがなんなのか忘れてしまった.忘れてしまうくらいには些細な事かもしれないし,(数週間前の僕には当然じゃなくても)今の僕には当然なことになってしまったから,気にならなくなったのかも.


初期のiPodのCMで,iPodさえ持ち歩けばどこでも音楽が聴けるというコンセプトのものがあって,確かおっさんが音楽を聴きながらノートパソコンを使っていて,iPodに音楽を転送後,ヘッドホンに出力を切り替えて外出するというようなものだったと思う.
結局,iPodのCMは,「単色の背景がどんどん切り替わって,音楽に合わせて白や黒抜きの人がダンスする」というものが印象的になってしまったけれど*1,僕にはおっさんのCMも印象的だったので記憶していたのだった.カセットテープやMDをしこしこ作ってたり,CDを持ち歩いていたりすることから考えれば,その日聴きたい音楽をすぐさままとめて持ち出せるなんて凄いじゃん.しかも,楽しそうだしおっさん.という感じ.


音楽を聴けるということは主な目的だろうけれど,今までノートパソコンで聴いていた音楽をiPod自体にすぐさま転送して聴けることが僕には魅力的に見える.
でも,その後CMが長く使われなかったことを考えると,機能やそれに付随する体験そのものを,いくら見せても惹かれる人は少なく,それ以上のものが大切なのではないか(iPodのCMとしては,ダンスするものが長期間使われたように)ということを考えたりした.


自分が思いついたり作ったものに対して,「○○ができるようになります」とか「○○をやってみてください,気持ちよいでしょう」などと言いがちなのだけれど,
機能や得られる体験を記述するよりも,体験で得られた表情をうまくのせることも大切なのかもなと思ったりした.

*1:SonyウォークマンのCMで似たようにダンスしているものだったというのが興味深い