岸辺のAlbum

teenstの日記

ハノイの塔を組み立てる

人には相性というのがあると思っていて,
「好みのタイプは?」と聞かれたら,
僕の場合は「話が出来る人」という答えをしていた.

話が出来る人,会話が可能というよりも,気持ちよくコミュニケーションを取れること.
ある人はこれを学歴を使うことで最低限をフィルタリングしてたりする.
批判はあるだろうけれど,経済的な面や「高収入の家には高学歴が多い」のような話を考えると,
ライフスタイルを共有する相手を選ぶという観点では,なるほどと思う.
本当に潔いなと思うし,賢い選択なのだろうなと思う.


僕の場合は,
相手に「プロトコルを合わせたい」「周期を合わせたい」という欲求が人を追い求めたりするのだろう.
これは憧れとかに近い気がする.


仕事であれば,自分のほうが立場が下なら合わせてあげるということが必要そう.
実際に僕は,会社では一番下っ端なので合わせる必要がある.


フィルタリングしなかったばっかりに,自分が疲弊してしまうということもある.
自分やもしかしたら相手の経験機会を奪ってしまうということもあるので,
ここは見極めが難しい問題なのだと思う.
意外とよい化学反応が起きるということもあったし,
あったからこそ多くの人の言葉が自分の中で生きている自覚がある.
自分のようなタイプばかりと接していては得られなかった人格だと思う.



ただ,僕の場合は深いつながりになりたいと思ってる人は,
プロトコルが合って,情報取得の周期が同じくらいの人のほうが傷つかなくて済むのだろうなと思う.

「好みのタイプは?」で聞かれると,上記の2件が達成できた上で「話が出来る人」ということを答えていたので,
「そこからかー,人間そこからかー」という気持ちになった.


かつてそういう話をしたら,「遊び程度に思えば良いのでは」とアドバイスされたけど,結構ハマってしまうからなかなかそうなることはない,乙女なんで.
人生は短いので,いくら経験機会だ多様性だと言っても,自分とはスタイルが合わない人に無理に合わせようとするのは馬鹿馬鹿しい.
わがままに思えない程度の閾値を決めて,そこからはバッサリ切っちゃったほうがいいのだろうなと思う.


自分にとっては,公開できるのに情報がオープンになってないことが,
かなりのストレスだということがわかった.学び.


この記事は,複数人のことについて書かれたいくつかの下書き記事を,
それぞれの事件に配慮しつつ要素だけ抜き出して書いたもので,
公開を数年後に設定しておく.