岸辺のAlbum

teenstの日記

葬儀

仏様のいる(ある?)お通夜の会場では,いつの間にか寝ていて,しかもどうにかして家に帰っていたようで朝起こされた.
今日は頭を下げるだけの仕事.

本当は東京で午前中と午後,面接があったのだが,キャンセルさせてもらった.
一社はリスケジュールを行えたが,もう一社は残念ながらということになった.
これはもう仕方が無いものだと思う.
母が「じいちゃんが行くなと言ったと思え」と言っていたがそうなんだろうなと思う.
でも同じ理屈でいくと,じいちゃんが名古屋から帰らせたわけだから,そちらの世界にも行くなということなんだろうか.
同じように母が言った言葉の中でも今でも印象に残っているのは,
大学に落ちたときに言われた「お父さんと私と息子なのだから,身の程を知りなさい」という言葉である.

なんだかんだで死期が近いことはわかっていたことなので,葬儀中も皆が泣くということもなく,
むしろうっすら笑い声すら聞こえているような状態だった.

ただ出棺になると流石に多くの人が泣いていた.
僕は泣けなかった.

骨壺を持つ係になり,霊柩車を見送る.
その後,家族の車で追いかける.



少し遠いところにある火葬場で,1時間半ほど.
こういうときも親族でも女性がおしゃべり好きだなと思う.
うるさいくらいだ.


母方の祖母から就職活動の状況を聞かれる.答えた.

納骨を行う.骨が溶ける病気だったのにも関わらず「きちんと残っていたわね」と母が言った.
次は位牌を持つ係になる.


自宅に帰り,初七日と精進落とし
終わった後に皆が食う食事を運び入れる仕事をしていた.


皆で食べる.親族と就職活動の話をする.
流石に「まだ学生なの?」なんてことは言われない.
年寄りが多くビールや食べ物は余る.
子供がいて,遊んであげる.
彼らとちょうど同じくらいの歳のころ,曾祖母が亡くなった.
今でも葬式の記憶があることを思い出した.
きちんと遊んであげた.


片付けをして,皆を送り出し,やっと住んでる人だけになった.
がらんとして,嵐のような日々だったなと思った.


次の日は大阪で説明会だったので,帰る準備をして寝た.