岸辺のAlbum

teenstの日記

闘うデザインディレクターと休日の悲しみ

朝食はコンビニで買った飲むヨーグルトで朝をスタートする.
午前中は掃除と洗濯.バックアップ用のHDDのリプレースを完了する.

昼ごはんはコンビニで弁当を買う.

『駅をデザインする』を読んだ.

駅をデザインする (ちくま新書)

駅をデザインする (ちくま新書)

駅をデザインする (ちくま新書)

駅をデザインする (ちくま新書)

値段のこともあってKindleで買うか迷うところなのだけれど,
美術系に近い本はそうするように,紙の本を購入した.
実例となる写真も多くさくさく読める.
定性的な評価しかできないことが原因だろうか,最後が説教臭くなるのは仕方ないとしても,
鉄道をただ時間通りに動かすだけ(もちろんそれはとても難しく大切なことなのだけれど)では,
パブリックなものを担うということにはならないよなと思う.


例えば彼は空間の見通しの良さを重視しているみたいで,
いいサインよりも人間がそもそも自力で見通せるならば,それに越したことはないという論調だった.

都心のストレスの多さは,
人の多さに起因すると思っていたけれど,
建物のデザインの悪さにもあるということに気づく.
イライラしない耐性を持った人間だけが生き残れる土地なんて,
あまりイケてるとは思えないんだよなぁ.
そして,人が多いことが拍車をかけている気がする.

書評情報:
駅を見る目が一変する『駅をデザインする』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる



昼寝を少しだけする.
頭痛がきたのでロキソニンを久しぶりに飲む

夕食は散歩も兼ねて定食を食べに行く.



行く途中に家族が死ぬことを考えていた.
どこからが死ぬことなんだろうというのは答えが出てない.

そういえば先月くらいに,起きたら急に悲しくなって「これは泣く時だ」と思い,
朝の通勤前の3分くらいの時間を使って,声を出して泣いていたことを急に思い出した.
人が死ぬ夢を見たことが直接の原因ではないものの,悲しさの引き金になったのだった.

人が死ぬこと,離別をきっかけに,過去の楽しかった思い出を思い出すからだろうか.
まだ,人が亡くなって泣いたことはないので想像しかできない.


人の成長を期待して社会生活を営んでいるところがあると思っていて,
だからこそ変化に強くならないといけないと思う.
しかし,どんな形でも喪失した時はやるせない気持ちになるし,
さらに人に対する執念というものが生まれることもある.
自然現象ですら整理がつかないことも,
他人の力で無理矢理喪失させられた時は,恨む気持ちにもなるだろう.
死刑を望む声を聞いて,見苦しい・そのようになりたくないなと思うけれど,
そうなる人たちを責めることはどうもできない.

過度に人に期待をしないほうがいいし,
人は変化するものだからその「変化すること」自体を,愛するのが良さそうだと思う.
自分しか信じないというのも1つのやり方だし,
自分すら信じられない場合は,あまりこだわらずに生きることも大切かなと思い,
考えることをやめた.


運動靴を模したスニーカーで歩く.
日中であれば明るい家族の姿も見えるが,日が暮れた時は憂鬱な気持ちもあるだろう.
佐内正史の写真について思いを馳せたりする.
食事をすればすっとそういう気持ちはなくなったので,食は偉大.


地域と大学進学とかの話.
誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ) - 腐ハウスブログ
少し長いのでPCでは見ず,手元の端末で見た.

こういう話題は僕も当事者意識があるので,好きでよく考えるし,
@saatomさんや@kanariya0922さん,あと何人かとはこういう話をするのだけれど,
現状の認識をすり合わせるにも,そういう体験談を持ってる人があまりいないし,
自分の過去の話だから,話しにくいというのもあるしで,あまり顕在化しない.

最近は,選択肢がないことも幸せなんじゃないかなと思うことも増えてきたので,
あまり価値観を押し付けることはしなくなったのだけれど,
かといって黙っていてもいいことはないので,自分ができることはあまりないけど,
自分と同じような人達が少しでも参考になるように,
自分の生活が最高だと肯定することなのかなと思うようにしている.


mitsubaさんに随分前から借りていた『コクリコ坂から』をやっと観る.ビールを飲みながら.
他のスタジオジブリ作品に比べてアクが強くないし,
素直に観ることができてよかった.
(一つの要素だけれど)吉田寮熊野寮の話,そして僕らが出入りしていた学館のことを思い出した.


この数日間の日記をまとめている.