家族の膿を出す/家族八景
『家族八景』という筒井康隆の小説があって,
そこでは主人公の家政婦さんがいろいろな家を転々として,そこでいろいろ出来事が起こる短篇の話が幾つか書いてある.
その中である大家族の話が出てきたのを,未だに覚えている.
その家はとにかく汚くて臭くて最悪という話.
『千と千尋の神隠し』という映画もその前後に見て,
その中のストーリーで,汚い川の神様が浄化されるという話があったと思う.
主人公が大掃除を決意して実際に掃除するという話は,それに似ていて.
たぶん関連してたから唯一その小説で覚えてるんだと思う.
自分の汚さはとにかく認識できないし,
自分の家族の汚さも同様にしてなれるとわからなくなる.
僕も含めてうちの家族は掃除をするのが苦手なようで,
家族八景に書かれていたほどではなかったけれど,それでも実家に帰ると辛いことが多い.
色々原因があると思うけど,物が多すぎたり,皆が休日も仕事をしていたりするから仕方ないのだと思う.
(追記: あまりにも文句を言っていたので,この帰省の前にはかなり掃除をしたそうだ.しかしたまに掃除をしたところで対して意味が無いのでもちろんアレルギーの症状は出た)
僕も掃除を苦行のように思ってた時があって,
多分中学生の頃までは,ものが散乱した自分の部屋に暮らしていた気がする.
高校生の時に掃除をすることについて,半ば宗教じみた形で学ぶ機会があって,
意外と自分の中ですっと入ってきて,それからはあまり自分の部屋を汚さなくなったかなと思う.
それでも恐ろしいもので,気を抜くとすぐ散乱した部屋になってしまう.
荷物を廊下に置くなと言われていたが,
彼らが普通にやっていたことをどうして俺だけが怒られなくてはならないのだと言ったこともあったっけ.
しかし日常的に行う必要のある掃除の殆どを,母親が担っていたということについての問題もある.
各々が自分の家だと思って生活をすればよかったのだろう.
残念ながら僕は言われてやらされていた気持ちが強かったように思う.
夫婦のことだし,最初は子育ての話だったから僕は何も言える立場ではなかったのだけれど,
親は使用人ではないということに気づくべきだったと思う.*1
しかし家事を専任していても彼女はほとんど文句を言わない.
母親もたまに家政婦ではないと怒っていたこともあって,今となれば確かにと思う.悪いことをしたなと思うけれど,残念ながらそこは自分で気づけなかった.
最早,別の家なのだからわざわざ別の人間が入っていって,対処療法的に掃除をしても関係がないじゃないかという気になっている.
でもどうせこの先彼らは死ぬのだから,
俺がもろもろの整理をしなくてはならないのかと思うと,気が滅入る.
将来のことを考えたくなくなる.
親,今のところほとんど問題ないと思ってるけど,
でも扶養義務はあるので,彼らがある程度の歳になったらパルスチェックをしないといけないのだろうな.
せめてパルスチェックしやすい環境は整えておいてほしいところだなぁと思う.
実家に帰りたくない理由は,そういう家がまだ存在していることにもよると思う.
これは家族からDVを受けていた告白に似ている.
自分ではDVだとは思っていないし,他の人からお前はDVを受けていたなんて言われたらもちろん反論するだろうけれど,
それでも構造として似ているかもしれないとふと思う.
影響を及ぼす生活上困難であることの告白.
僕としては彼らは親的には最高だけれど,どんな人間にも悪いところはあるから,仕方ないという気持ちがある.
掃除が苦手というのが,最初に思い浮かぶ家族の悪いところなのだけれど,それがよかったのか悪かったのかは,今のところ分からない.
実は今住んでいる部屋も,必要となる収納道具が揃ってないので,掃除が行き届いてなくて,
ちょっと精神衛生上よくない.
せめて普段からアクセスしやすい状態に持って行きたい.
日々の暮らしを少しずつ良くしていくということに興味があるのだろうな,僕は.
飽きっぽいけど.
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*1:こういうことが抜けてて本当に恥ずかしい.