研修/あえて自分を殺してみる
一日かけて研修をしてた.
今回に関しては弊社のいい部分がよく出てたので,素直な気持ちになれた.
思想に合わないことをしている気もしたのだけれど,
意外と今のところすんなり受け入れられているのは,事前にやることがわかってたからかもしれない.
実際にやってみたら考えが変わる?かもね.
また研修中,過去の話とかが結構思い出されて,いろいろと感慨深いものがあった.
過去の話といえば,元同期が夏の予定についてブログを書いていて,
かなりいい話だったので奈良の方で未読の方は是非.
過去にやったことってのは良くも悪くも先の人生に影響を与えているようで,
自分自身もまた自分以外の人間も
一回そう思い込んだり,思い込まれたりすると,
過去に引っ張られてないか?と自分で考えなきゃいけなかったり,
「いやいやそんなこと考えてませんから」と訂正しなくてはならない場面が多くて大変.
後者に関しては,現時点でのビジョンと行動みたいなのはアウトプットするのがベターなやり方だと思う.
しかし,現実には真逆ととられがちな行動をしていて*1
「twitterをどうして辞めたの?」と聞かれることが多くなった.
仕事が特別忙しくて死にそうというわけでもないのだが,
端的に言えば入力の質を変えたいという欲望が増えたのだと思う.
学生時代,ある人と「teenstの分野はtwitterをやってる人が多いから」という話になって,
確かに多いなと思っていた.
いろいろあった冬が終わって,だんだん興味が変わってきて,
必要のない情報をアウトプットする人をリムーブし始めたりもした.
仕事をすることによって玉石混交の中でいろいろやるよりも,
トレンドは追いつつも,過去の大量の資産を掘り当てるほうが,
面白いということに考えが変わったというのがあると思う.
今の面白い情報は何もしなくても入ってくるような仕組みの上にいるので救われている.
ただ,若者のくせに時代の先端を追わないというのも,要求を満たしてない気がしていて気が引ける部分はある.
何かの話で,自分が使っているサービスをすべてやめてみるという話があった.
ある特定のサービスに依存しないために,ハッカーがよくやる.そういう話が書いてあった気がする.
僕は今はあまりゲームをやらないのだけれど,
ゲーム中に無理やりプレーヤーを殺して,その様子をみるということをやっていたことがある.
それを育成ゲームでやってみて挙動を確認しようと言ったら,祖母に止められたけど,
なかなかソフトウェア的発想だ.戦前の人には納得出来ないかもしれない.
人とのつながりが変わると.行動様式を変えていく性質のようで,
あるときはtwitterに失恋の話を書きなぐったおかげで世界が広がったし,
あるときは普段と違うことをしようと思い,いろんなイベントに参加し始めたりした.
あるときは日記を書き始めた.
そして,今回は情報の入力を絞った.
これがないとやっていけないかなと思ったけど,
アカウントはすぐ復活できるようだし,
意外となんとかなっている.ATNDにログインが出来ないのはちょっと困ったけど,
いろんな人から,twitterをやめればと言われたこともあったけれど,
結局行動に繋がるのは,人からの言葉なんかじゃなくて,
自分から出てくる危機感だったり,面白いことをやりたいという衝動なのかもしれない.
でも,それは人によって違うってのもわかっていて,
多くの人は他人からの指摘で行動が変わるのだろう.迂闊に指摘しちゃう人が多い.*2
あるいは無視する人もいる.それはやり過ごすという意味では悪くないね.
「愛の使い方がうまくなりたい」という言葉が思い出される.
『プラネテス』に書いてあったっけ.
結局,何にどれだけ愛情を注ぎ込めるか.時間は有限だし.
とか言いながらも,twitterでしか繋がりがない人と会う約束をしているので
ちゃっかり鍵付きのアカウントの投稿を追ったりしていたのだった.