夏の読書会と合宿
記憶を頼りに書きだしてみるのだけれど.
夏の読書会は,
1年目は海外逃亡をしていたが,2年目は出た記憶がある.
なんとなくの配慮をしてもらって,楽なところを割り当ててもらったと思う.
研究室関係者には評判が悪いとの話だったけれど,僕としては思い返すと比較的好意的に捉えられるのは,
- 教科書があることで,量的に終わりが見えている
- 予定を立てて短期間で取り組むこと
- 自分の知らないことについて取り組むこと
- 他人と一緒にやること
- 毎年続けているイベントであること
- 全員がアタッチできるイベントである
- 研究分野だと,そのタスクに取り組んでいる人しか流れに乗れない感じがあった?
- 主催者が乗り気であること
- 打ち上げで美味いものが食えること(カレー)
あたりが,ポジティブな思い出に繋がっているのかもしれない.
「教科書を読んでる暇があったら自分の研究領域について研究をすすめたい」という人から評判が悪いというのであれば,
僕は熱心な学生ではなかったので,わかんない.
逆にあまり研究・学習的にいい思い出がないのは合宿で,
季節の変わり目ということで体調を崩していたこともあったり,
学生の発表では,入れ替わり立ち代わり別の話になるので頭がついていかないことだったり,
他の人の話が十分にできないこと,自分のことだけで精一杯だったことあたりがあるのかも.
このことを思い出すと
読書会については,
- 一つのことを全員でやることは,義務教育時代からのメンタルモデルもあって,まだ苦痛ではない
- 自由度の高い宿題はやる気を失うけど,それだけのために準備時間を用意してお毛羽,何かをするのはまだなんとかできる.
合宿については
- 短い時間だと問題が共有できない
- ついていけないのは基礎がしっかりしていないからということもあり
- 基礎がしっかりしていないので,他人の取り組んでいる話は面白くないこと
- (全くコンテキストを変えての)飲み会というのは得意ではない?
- 地続きの打ち上げは参加しやすい.
思い出深いのは,体調も崩したが発表したM1の時で,
発表してないM2の時は,人の発表内容をさっぱり覚えてない.
どこに泊まったとか,どんなTシャツを着ていたとかそういうくだらないことばかりだ.
片手ほどのグループ以上の団体が集まって何かをやることの意義はあると思っていて,
それぞれの感心事が違うことだったり,知見を共有できることだったりがあると思う.
準備が面倒なので,やらずに内側に閉じてしまったりすることもあって難しそう.
もちろんクソ修士学生の意見であって,研究をしっかりしてた人たちにしてみれば,要素があったのかもしれない.
過去の知見や体験を,今,発火させようと思っていてそういうことを書き出す.
当時はまとめられなかったけれど,今振り返ってみると
都合がいいのでいい思い出だけが残っている可能性もある.
少しだけ客観的にもなっていて,
そういう上澄みのところが将来の自分の成長や,別の団体への貢献になるのかなと思ってとりあえず書きだした.